ずっと居座る感情、いつまでも認められない自分。
誰かに認められたくて、社会に認められたくて、頑張るけど、前に進めないのはなぜでしょう。
この記事の目次
[list class=”li-chevron li-mainbdr main-c-before”]- 自分自身を否定していませんか?
- どんな部分も自分を造る一部
- すべてを認めたら見えてくる先
自分自身を否定していませんか?
以前カウンセリングした方で、どうしても子供を叩いてしまうという相談を受けました。
申し訳ないと思いながら、感情の矛先が、子供に向いて手を挙げてしまう。
そう言葉を漏らしながら、そんな自分をただただ非難してしまう。
勇気を出して、私に告白し、小さく言葉が漏れてくる。
「叩く自分が嫌で仕方がない」
私は、ゆっくりお話を聞きながら、一言いいました。
「それでいい、叩いてもいいですよ」
世間一般では、問題視される言葉かもしれない。
でも、自分が、自分を責め続けていたら、感情の矛先は、変わらないものです。
誰にでもないでしょうか。
できない自分、嫌な自分、隠したい自分、小さくともそんな自分を抱えて、認められないこと。
小さくとも、自分自身を否定していたら、いつまでも、誰からも認められないと感じないでしょうか。
どんな部分も自分を造る一部
先ほどの子供を叩くお母さん、いま叩いている自分も、紛れもなく自分の一部です。
まずは、それを認めてあげる。
「そのままでいいよ、叩いていいよ」は、その自分もいいよと、認めるきっかけを投げかけたのです
そのうえで、自分の感情と向き合わないと、否定する気持ちで、自分を見てしまいます。
どんな部分の自分の一部です。
いままで生きてきて、誰かに出会って、たくさん経験し、いまも生きている自分を造っている一部です。
否定したままでは、自分の感情を理解することもできないし、否定の目でしか受け止められなくなると思うのです。
すべてを認めたら見えてくる先
私自身も、自分を否定して生きてきました。
だから苦しかったし、どんなに頑張っても、どこか「誰にも認められない」と寂しく感じて生きてきました。
どんな感情も、どんなダメな部分も、少しづつ認めていくように意識しています。
そう意識するだけで、自分の感情に優しくなれました。
そして、自分への信頼が、深まったように思います。
自分のすべてを認めたら、いままで自身のために生きてきた自分へ、信頼が深まります。
信頼が深まると、誰かの目より、自分の感覚がいつも傍に感じるようになります。
自分の感覚に信頼できたら、本当にやりたいことが見えてくる。
何がやりたいのか。
何をやりたくないのか、見えてくる。
そして何より、自分との信頼ができたら、自分らしく『自由』に生きていけると思います。
すべてを認めたその先は、本当に自分が進みたい道を見つけ、自由に生きる世界だと私は思います。